目も、耳も、心も、大きく開いて世界を見るコト

長渕剛さんのコンサートに行ってきた。

オールナイトライブ。富士山麓。

興味が無い人や、ライブに行かなかった人はニュースやネット記事から情報を得ている訳ですが、

「ああ、事故があったんでしょ」

「帰れないって、罵声や怒号があったんでしょ」

という思いにしかならないだろう。

 

その場に立った私が感じたことを記します。

 

それは、実際の現場であったことと、ネット情報との乖離を改めて感じ、

「偏った情報」の恐ろしさを実感したことにあります。


目も、耳も、心も、大きく開いて世界を見ること。

 

これは映画「山本五十六」で主人公が発した台詞だが、

私自身も惑わされずに、出来る限り文字情報だけではない、

真の姿を見なくてはならないと自戒を込めて。

 

誰の音楽が好きか?と聞かれたら、Mr.ChildrenだったりTM Networkだった学生時代。

最近は特定な誰かというよりも、聞き流す方が多い。

長渕剛のファン?と聞かれると、

小学6年の頃にCMで流れていた「STAY DREAM」や「乾杯」っていいなと思い、

お小遣いで「NEVER CHANGE」というLPを買った記憶。

 

友人の家でそのレコードをかけていたら、彼のお父さんに

「子供が聞く曲じゃないぞ」

と言われた。

それはそうだろう。NEVER CHANGEの歌詞は強烈すぎる。

あれから30年近くなり、私も父親になったが、あの歌詞は書けない。


ドラマ「とんぼ」などでも強烈な印象があった。

最終回、新宿の路上でのシーン。

誰もが絶命したと思った。

 

その後、「英二ふたたび」でまさかの復活。

医療技術に驚いた。

 

ということで、長渕剛・空白期間があるのですが、

Uさんに誘われ、昨年、武道館コンサートへ。

そして

「まだ内緒だが、来年、富士山に10万人集めて、俺たちの思いをぶつけるぞ!

何かが起こるかもしれないぞ」

と叫ぶのを見た。


内緒話をここまで大きな声で聞くのも初めてであったが、

企画を必ず実施するという思いに、共感した。

 

そして当日を迎えた。

まず、誘導、演出などに携わった方々に最大限の賛辞を送りたい。

一人のアーティストに対してこれだけの人が集まっただけですごい。

トイレも、出店も十分すぎるほど準備されていた。

 

空が明るくなってきた頃、

JTBの先輩から

「ご無沙汰!こちら徹夜でバス斡旋中!」というメッセージが届いた。

facebookで私がここにいることに気がついたのだろう。

バスを2000台手配したという。

前日までは雨。

予報も雨であった。

富士山の姿がはっきり見え、

じわじわと朝日が昇る。

 

まぶしさと共に、確かに感じる太陽の熱。

太陽の偉大さ。そして日の丸の美しさ。

 

純粋に涙が出た。

毎朝、当たり前に昇っている太陽なのに。


そしてライブ終了。

お客の前に駆け寄り、頭を撫でられていたのが印象的だった。

 

出発時、東京駅で私に配られていたリストバンドは「シ」

 

たぶん「ア」から呼ばれるのかな・・と想像はしていた。

いや、一曲目の「ジャパン」の「シ」だったら、一番最初だと

思い込むようにしていた。

 

そして7:00過ぎから「ア」から会場から出ることを許された。

ライブ終了後に初めて、帰宅する方法が明かされた。

 

これも賛否両論あるだろう。

しかし、この方法を明らかにしていたら、

終了前に出口に殺到して事故が起きる可能性の方がリスクがある。

 

後で知ったのだが、

ライブ終了前から会場を出ようとしていた人達が大勢いたようで、

その人たちが、早く出してほしいと声を荒げていたように思われる。

(それもあくまでも、ネット動画からの推測)

 

それは、13:00過ぎまで会場内で待機した私自身が、

罵声を上げている人など、まったく見なかったからである。

 

10万人をバスに誘導することの難しさ。

 

以前、花火大会で歩道橋に人が押し寄せ、大惨事になった事故があった。

そのような状況にもなりかねない。

訪日旅行者向けなど、バスの需要が増えている中で、

バスを手配する事の難しさは経験上からも知っている。


社員旅行を手配するだけでも、バスが足りずに困っていた新入社員の頃。

大型運転免許を取り、個人で所有してやろうかなと思った事も、2秒くらいはある。

駐車場の事を思い、すぐにあきらめたが。

私自身、足も痛くなっていたが、どうせまだ出られないだろうと

ビニールシートを引いて寝ていたり、出店のグルメを楽しんだり。


夏休みの一日を楽しませていただいた。

 

帰りのJRのチケットを見せて、事情を説明している人には、

ゲートのスタッフも「ではこちらでお話しいただけますか?」と柔軟に対応し、

特別に通していた。ある程度の権限をスタッフに与えていたように思う。

バスに乗り込んだのは、14時過ぎ。

奇しくも、行きと同じバス。東京23号車。ヤサカ観光。

 

偶然かも知れないが、行きと同じバスに乗るということは、

それだけ交通整理が上手く行っていたのではないだろうか。


中央道での大渋滞で家に着いたのは21時。

首都高速から、偶然にも神宮球場の花火が楽しめた。

高速で走る車から花火を見ると、球体に広がる花火を楽しむ事が出来る。

 

ヘリコプターの事故についても、まったく気がつかなかった。

開始時に、やけに低空飛行するヘリだなあと思っていたし、

ステージにやたら近いところにもホバリングしていた。

万が一、そこで墜落でもしたら、すべて台無しであったことだろう。

 

恐らく、ギリギリのレベルまで、観客を喜ばせるにはどうしたら良いのか。

せっかく来てくれた人に喜んでもらうには?と演出にこだわっていたのだろう。

スタッフをすべて信じた上で、限界に挑戦したのではないだろうか。

「肩に打撲の軽傷」とのことだが、心からお見舞い申し上げたい。


この事故を予期できたかどうか。

テントを張り、その隙間から中に吹き込む風。

これは検証が必要である。


企画を教える立場として、責任とは何か。覚悟とは何か。


稟議という名の、リスクヘッジを前提としたシステムでは

心を動かす新しいものは何も生まれないのかもしれない。

 

その上でなぜ、ネガティブ記事が多いのだろう。

一人のアーティストとして強烈なメッセージを発する人ほど、

バッシングされやすい。

 

尾崎豊もそうだった。


ネガティブ記事の方が、クリック率があがるのだろう。

そうすることによって、広告収入も得られるし、

支持を得られるのだろうか。

あまりにも悲しい。

 

そんなことを考えるきっかけを与えてくれた一夜であった。

 

ライブ開始の演出で、地元の「富士山御神火神輿」2基が会場を回っていたのだが、

(簡単に言うと、お祭りの御神輿が燃えていて、そこに数名の女性が立っている)

こちらの方が危険に感じた。絶対に熱いって・・・と。

http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/kankou/llti2b00000019ab.html

(こちら参考映像)

このお祭りは市民から生まれたアイデアで30年以上続けられているそうだ。

1トン近い神輿に、火をつける。

色々な試行錯誤があったに違いない。

しかし、やり遂げる事で、伝統が生まれる。


怪我をすることはあってはならないこと。

その上で、企画を実行したことをけなす事だけはしたくない。

 

元々、祭りとはエネルギーの発散の場所。

生命力の充電と放電の場。

 

最後に我々に背を向け、富士山に向かって、彼は叫んだ。

「俺たちを幸せにしてくれ」と。

 

桜島でのオールナイトライブの後、長渕さんは音楽の原点とも言える父親を亡くした。

富士山に父を、母を見ていたのではないだろうか。


県知事さんとの対談で、

東側にある自衛隊演習場を父、ふもとっぱらを母のような懐の深さと表現している。


「幸せになろうよ」

ではなく、

「幸せにしてくれ」と叫ぶ。

 

すべてを超越した聖なる富士山に向け、祈りのような声で叫んだ言葉。

ここにいた誰もが忘れないだろう。

 

企画を考える事は誰でも出来る。

その上で、実行した人がもっと偉い。

失敗しても、実行した人の方が、何もしない人よりも絶対に凄い。

 

富士山に美しく昇る太陽を見ながら、

目で、耳で、心で感じる事の大切さを感じ、教えるべき事を再認識した。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    こばやし (火曜日, 01 9月 2015 02:28)

    剛に興味の無いものは、ヘリの事故や規制退場のことを揶揄するが、ファンは生涯忘れることのない体験だったことだろう。メディアが面白おかしく書こうが、価値基準は自分である。

  • #2

    Motoyoshi (火曜日, 01 9月 2015 08:03)

    企画を実行する事に、稟議が必要なシステムの中では、このイベントは実行出来なかったはず。費用対効果に加えて、リスクがあまりにも大きいから。台風が来たら?など。
    感動する企画、伝説となる企画には、一人の人間の酔狂過ぎるほどの「思い」のみが突き動かすということを、肉眼で見る事が出来た事に感謝です。